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大阪地方裁判所 昭和61年(わ)5841号 判決 1990年9月18日

主文

被告人を免訴する。

理由

本件公訴事実は、「被告人は、中国籍を有する外国人であり、大阪市西成区<住所略>所在の西成労働文化センター内に居住しているものであるが、昭和六〇年五月二〇日、同区<住所略>所在の同区役所において外国人登録法一一条一項に基づいて確認申請をするに際し、外国人登録原票、登録証明書及び指紋原紙に指紋の押なつをしなかったものである。」というのであるが、本件については、平成元年法令第二七号により大赦があったので、刑事訴訟法三三七条三号により、被告人を免訴すべきである。

なお、当裁判所は、当公判期日に被告人が出頭しなかったにもかかわらず免訴の判決を言い渡すことができると判断したので、以下、その理由を説明する。

一  本件は、刑事訴訟法(以下「法」という。)二八六条、二八五条二項但書により、判決を宣告するには原則として被告人の出頭が必要とされる事件であり、免訴の判決であっても、その宣告には原則として被告人の出頭が必要である。一般に、公判期日への被告人の出頭が必要とされる理由としては、当事者の一方である被告人に防御権の行使の機会を保障して被告人を保護するという適正手続の要請と、被告人に防御権を行使させることにより実体的真実を発見して適正な裁判を実現するとともに、裁判の公正さを担保するという要請があると考えられる。これを判決宣告期日についてみると、当事者の一方である被告人も出頭すべきであるという当事者主義からくる多分に儀式的な要請のほか、判決内容を正確かつ即時に知らせるとともに、有罪の判決の宣告を受けた被告人に対して上訴権を告知することにより、上訴権の行使の遺漏のないようにすることが考えられるに過ぎず、判決宣告期日への被告人の出頭は、一般の公判期日への出頭と比較して重要な意義を有するものではない。

二  他方、法二八六条二及び三四一条は、それぞれ正当な理由なく公判廷に出頭することを拒否し、あるいは退廷するなどして、自ら権利を放棄した被告人に対して、裁判手続の進行を優先させる見地から、例外的に被告人が不出頭のまま判決の宣告をすることを許容しているほか、法三一四条一項但書は、被告人が心神喪失の状態にあって、無罪、免訴、刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合には、被告人が公判期日に出頭して自ら防御権を行使しうる状態になるまで回復するのを待って手続を進めるよりも、むしろ速やかに被告人を刑事手続から解放すべきであるとの趣旨から、その出頭を待たずに、直ちにその判決の宣告をすることができる旨規定し、判決宣告期日に被告人の出頭を必要とする原則の例外を設けている。これらの規定の趣旨からすれば、判決宣告期日への被告人の出頭は法律上絶対の要請でないというべきであり、特に、右期日への被告人の出頭の必要性が前記の程度のものであることを考えれば、法三一四条一項但書は、被告人が心神喪失の状態にある場合に限定されるものではなく、その他被告人の判決宣告期日への出頭を待つことに意味がない場合にも、類推適用の余地があると解すべきである。

三  法が被告人に判決宣告期日への出頭義務を課している以上、召喚を受けながら出頭しない被告人に対しては、勾引することが法の予定する手段であると考えられるので、本件においても、被告人を勾引して判決を言い渡すことの当否を検討する必要がある。一般に、被告人を刑事手続から解放することを目的とする免訴の判決を言い渡すために、被告人を勾引して、一時的にせよ被告人の身柄を拘束して苦痛を与えるのは、適法な手段であるとはいえ、目的のために手段を選ばないものであるとのそしりを免れず、相当性の点からは多分に疑問である。特に、本件が外国人の登録切替えに伴う指紋押なつの拒否の事案であって、現行の外国人登録法の下ではもはや罪とならないことなどを考慮すると、被告人を勾引することの不当性は一層明らかである。このような判断から、当裁判所は、従前から被告人を勾引することなく、任意の出頭を待ち続けてきたのである。

四  本件における被告人の公判への出頭状況をみると、被告人は、第一回公判以来、弁護人の弁論及び被告人の最終陳述の行われた第一三回公判までは、毎回出頭していたが、裁判所が判決宣告期日を大赦令の効力発生後の平成元年三月一四日と指定すると、同月九日付けで突如弁護人を全員解任したうえ、右期日に出頭せず、その後同月二四日の判決宣告期日はもとより、職権による弁論再開の後も、同年一〇月三日の第一六回公判以来、平成二年八月三日の第二四回公判に至るまで、召喚状の送達されなかった同年七月二〇日の第二三回公判を除き、いずれも正当な理由なく公判期日に出頭しなかった。この間、裁判所は、同年三月二〇日の第一九回公判で被告人の不出頭を許可したうえ検察官に被告人を免訴すべきであるとの意見を陳述させ、その後も二回の公判期日を続行して被告人に意見陳述の機会を与え、弁論終結後も四回にわたって判決宣告期日を続行し、当公判期日に至ったのである。

五  以上の経過から明らかなように、被告人の各公判期日への不出頭は、同年七月二〇日の期日を除けば、一方的に被告人の責めに帰すべきものであって、被告人は、判決の宣告に被告人の出頭を要するという法の規定の存在を奇貨として、いたずらに判決の遅延を意図しているというほかない。本件においては、被告人の恣意的な不出頭により、一年六か月にわたって事実上判決の宣告が遅延しているが、このような事態は、迅速な裁判を著しく阻害するものであり、迅速な裁判が公益的要請でもあること、本件では大赦令により控訴権が消滅し、免訴判決によって被告人を速やかに刑事手続から解放することが要請されることなどに鑑みると、裁判所として、事態はこれ以上放置することができないものである。他方、被告人は、公判期日への不出頭の状況からみて、判決宣告期日への出頭の権利を放棄したことが明らかであり、被告人が不出頭のまま免訴の判決を言い渡したとしても、これによって被告人が受ける不利益としては、せいぜい公判廷で判決内容を正確かつ即時に知らされなかったということが考えられるに過ぎず、しかも、前記の不出頭の状況からすれば、被告人は大赦令により本件が免訴となることを知悉していると推認されるから、右程度の不利益は考慮するに値いしないというべきである。また、被告人の判決宣告期日への不出頭の意思が強固であることから、その任意の出頭を待っても、もはや期待できないというほかない。

六  本件のように、被告人の恣意的不出頭により判決の宣告が一年六か月にもわたって、事実上遅延しているのは、法の予想しない異常事態というべきである。本件においては、被告人の公判期日への任意の出頭を期待することができず、かといって被告人を勾引するのも相当でないから、現時点では、もはや被告人の出頭を待つことに意味がないというべきであって、心神喪失者に対して免訴等の有利な判決を言い渡すべきことが明らかな場合と相通じる状況があると考えられる。また、本件は、被告人が自ら権利を放棄して出頭を拒んでいるという点で、正当な理由なく公判廷に出頭することを拒否し、あるいは退廷するなどして、自ら権利を放棄した被告人に対して、不在廷のまま判決を宣告することを許容した法二八六条の二及び三四一条の趣旨が妥当する場合であるということもできる。したがって、本件のような事態に対処するためには、法三一四条一項但書を類推適用して、例外的に被告人が不出頭のままでも免訴の判決を言い渡すことができると解すべきであり、かつ、このように解することは、法二八六条の二及び三四一条の趣旨からしても許容されるというべきである。

七  以上のとおりであるから、当裁判所は、本公判期日に被告人が出頭しなかったにもかかわらず、免訴の判決を言い渡すことができると判断した次第である。よって、主文のとおり判決をする。

(裁判官 朝山芳史)

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